2014年2月25日火曜日

東京新聞に我が家の保養の受け入れを紹介していただきました!

原発事故で群馬から移住 親子の不安いやしたい

東京電力福島第一原発事故による放射能汚染を心配し、群馬県富岡市から長野県飯島町に家族で移住した林業小幡唯さん(39)が、同じ不安を抱える親子のため自宅の一部を「保養所」として開放している。二〇一二年七月に始めて以来、東京都、茨城県、千葉県など関東在住の七家族が利用。小幡さんは「子どもへの影響を心配する親の気持ちは同じ。できる限り続けていきたい」と話す。 (鈴鹿雄大)
 小幡さん方は、妻久美子さん(40)と二~七歳の子ども三人の五人家族。原発事故後、自宅の庭や子どもが通う保育園の放射線量を測るうち、将来が心配になり移住を決定。一二年二月、中央アルプスを望む飯島町に移った。
 引っ越しを機に夫婦で話し合い、一時避難や移住を考える人たちのため保養所を開こうと決意。受け入れができる物件を探し、現在の自宅を購入した。木造平屋を二世帯住宅のように改装し、保養所部分には玄関、風呂、トイレ、台所がある。数日から一カ月まで希望に応え、大人は一日三百円、子どもは二百円、二人目以降は百円で滞在できる。利用者は母子が中心で、二回利用した家族もいる。
 昨年八月三十日から四泊五日で訪れた東京都調布市の桜井かおりさん(35)は、長男匠ちゃん(5つ)と次男健大(けんた)ちゃん(1つ)を連れてきた。二人は小幡家の子どもとすぐに仲良くなり、座布団を集めて基地ごっこをしたり、部屋を駆け回って遊んだ。
 桜井さんは、震災直後の一一年三月十五日から三重県の実家などを転々としている。「子どもの健康を考えると、少しでも安全な場所で生活したい」と考える。
 インターネットで保養所の情報を提供しており、週に数件の問い合わせや相談のメールに応える。福島県飯舘村で原発事故の影響を調べる活動にも取り組む小幡さん。「原発事故は、自分たちの不安がなくなったら終わりになる問題じゃない」と今後も保養所で受け入れを続けていく。

転載終了

たつたろう活動だけではなく、いろいろな活動をしているのですが、応援してくれる人がいてくれて本当に嬉しい限りです♪

全てに感謝。私は幸せです。

ありがとうございました。

2014年1月28日火曜日

保養の取り組みが中日新聞に紹介されました!

こんにちは!

我が家では放射能から少しでも離れたい母子の保養を受け入れしているのですが、8月末に取材を受けまして、本日の中日新聞に載せていただきました!ありがとうございます^^

もう少しで春休み!2014年保養受け入れ開始です!
今年は何組の方が来るのか?それとも来ないのか(笑)わかりませんが、のんびりゆったり構えておこうと思います。

事故から時間が経つにつれ、健康被害の不安を持ちながら保養に来られる方が増えています。

汚染された土地に住み続けている限り、不安に感じても仕方がないことですが、不安になるの当たり前ですよね。今後、精神的な対応が難しくなってくると思いますが、私は私でしかないので、背伸びせず、ただただお話を聞くことに専念できるようにしたいと思います。

ありがとうございました。

2014年1月27日月曜日

久しぶりに集計

こんにちは!

すっかりたつたろうの一生を配る勢いも衰えている今日この頃。
やる気を失っている私には関係なく、たつたろうを応援してくれる方はたくさんいてくれまして、カンパも集まっております。本当にありがたいことです(感涙)

11月~本日までに頂いたカンパ金3、787円

カンパ&冊子売上合計59198円
掛かった費用51487円

残高7711円也

ようやくプラスになりました!

ですが、掛かった費用5万円はなかったものとし、今ある無料紙芝居がなくなり次第、また1000部印刷をお願いするつもりでいます!

残り約200部、いつなくなるかは疑問ですが(配るところには配っちゃったもんね^^;)、地味ィーに配り続けたいと思います!
頑張れ私!

ではでは^^)ノありがとうございました!

2013年12月30日月曜日

冊子の作り方です。よろしくお願い致します。

冊子の作り方を投稿します!

(私の作り方なので、別の方法で作れる方は、ご自分の方法でお願いします。)

まず、PDFファイルを開きます。※クリックだけでは表示されませんでした。アドレスをコピーして、アドレスバーに貼り付け、移動をお願い致します。
http://www.geocities.jp/jany1dory1max/tatutarounoisshou.pdf

通常印刷をすると、8枚プリントされます。

このプリントされた紙を、2枚一組と考え、上下入れ替えてください。(下の図のような順番です)

 入れ替えたら、再びプリントします。表紙・裏表紙の裏が1ページ14ページ。2ページ13ページの裏が3ページ12ページ。4ページ11ページの裏が5ページ10ページ。6ページ9ページの裏が7ページ8ページ。になっていると思います。
それを、2冊になるように重ねます。(下の写真参照)

 上一枚(7ページ8ページ)を半分に折り、真中を取ります。
そして、できれば4箇所(最低3箇所)をクリップでとめて真中を縫います。
普通の家庭用ミシンで縫えます!

 最初と最後は解けないように、折り返して縫ってください。

お疲れ様でした!!出来上がりです^^v 
 真中です。
 裏表紙です。

文章を変えて、きちんとした紙芝居を販売することになりましたので、著作権を守ることにしました。
でも、印刷して配ってくださることは大変助かりますので、太っ腹の方よろしくお願い致します!
インク代、用紙代等掛かります。
ご承知の上、作成してください。
1ページずつの印刷ができず、16枚セットで印刷されてしまいます。
私は、プリンターの給紙(下からめくりあげて印刷するタイプのプリンターで)が上手く行かず、何度も失敗し、たくさん泣きました。結局、上から給紙する昔ながらのプリンターをお借りして、今は問題なく作れるようになりました!

個人でたくさん作りたい、団体でたくさん作って配りたい!と言う場合はコメントかメール下さい。
待っています!!よろしくお願い致します!

tatutarou.ouennsitai☆gmail.com |
最後までお読み頂きありがとうございました!
おばたくみこ

2013年12月25日水曜日

新作:チョリップ村の「お約束の書」の物語1~4ページ

チョリップ村の「お約束の書」の物語も無事完成し、原画展、そして無料配布の冊子も出来上がってきました^^)ノ

すこしずつ、お話を載せていきたいと思います。


おとぎの国に、チョリップという名の村がありました。

チョリップ村には、誰もが信頼し、誰もが慕う女王様がいたそうで、村人たちは安心して心穏やかに、のんびりと暮らしていたということです。

そんな平和なチョリップ村ですが、王様の時代はあちらこちらの村と
争ってばかりで、たくさんの村人がその争いに巻き込まれ、命を落としていました。

ある夜のこと、重大な知らせがお城に届きました。
その知らせに驚き、急いでお城を出た王様は、城の入り口で待ち伏せしていた何者かに刺され、帰らぬ人となりました。

王様を失った村は、すぐに降参し、全ての武器を捨てました。
そして、こんな悲しみを二度と繰り返さないために、争わないことを宣言したそうです。

王様の不幸にも気丈な振る舞いで、みんなを安心させたお妃様は、
女王様になるとすぐ、村のために命を落とした村人の家をまわり、その
家族と一緒になみだを流されたそうです。

深い悲しみに潰されそうだった村人たちは、慈愛に満ちた女王様のお心に触れ、その悲しみを乗り越えることができました。

王様の死から数ヶ月がたったころ、女王様は村人たちにある提案をしました。
「これから新しい村づくりをするために、まずは村を七組にわけたらどうかしら。そして、それぞれの組の代表者を決めるの。代表者は自分の組の意見をまとめ、持ち寄り、代表者だけで話し合いをしたらどうかしら?そうすることで、村人たちの意見を取り入れた、生活しやすい村になるんじゃないかしら。」
女王様の提案を受け、村人たちはすぐに行動に移しました。そして、何度も話し合いを繰り返し、いくつかの決まりごとを作り、それをまとめたそうです。


これがその決まりごとをまとめた【お約束の書】です。

すべての村人は、みな平等である
すべての人は、自分の考えを自由に発言できる
人の意見は必ず最後まで聞くこと
どんなことでも話し合いで決めること
話し合いの場では、お互い意地をはらず、譲り合うこと
すべての人は、自分のやりたい仕事を、自分で選べること
悪いことをした人は捕らえられ、罰を受けること
武器を持つことを禁止し、他の人と戦わないと誓うこと
子どもはみんなで守り、村人全員が子育てに参加すること

村の合言葉は「自分を認め、全てを認め、愛のある村づくり」に、決めたそうです。

この【お約束の書】を、とてもとても大切にしながら、暮らしていくうちに、チョリップ村は、みんなが認め合い、許しあい、争うこともなく、安心して子育てのできる村になりました。

生まれ変わったチョリップ村は、村人たちの笑顔であふれていたそうです。

そんな幸せな、心躍る毎日が、当たり前に過ぎ去っていきました。


小鳥たちのさえずりが響きわたる静かな朝のことです。
チョリップ村に悲しい知らせが届きました。

女王様が突然倒れ、そのまま天の国へ旅立たれたというのです。

村人の悲しみは深く深く、「もう二度と立ち直ることなどできないのではないか」と、国中が心配するほどでした。


つづく(クリックで5ページ~)

2013年12月1日日曜日

伊那市立図書館へ

おはようございます!

「たつたろうの一生」、伊那市立図書館からご注文をいただきました。

リクエストをしてくれた方々、本当にありがとうございました!

今回は伊那市荒井にある「小林書店様」に納品し、伊那市立図書館の紙芝居たちの仲間入りすることとなり、昨夕「小林書店様」に納品してきたのですが、いろいろとお褒めの言葉をいただき、とっても嬉しくなりました。

伊那谷のすべての図書館に置いていただける日を夢見て、のんびりゆっくりと頑張りたいと思います^^v

ありがとうございました!

おばたくみこ

2013年10月25日金曜日

セシウム検査で判明した子どもの体内被曝の深刻度

セシウム検査で判明した子どもの体内被曝の深刻度

関東15市町で実施されている最新検査で、子どもたちの尿の7割からセシウムが検出されていたことがわかった。ジャーナリストの桐島瞬氏は、その被曝の深刻度を明らかにする。

*  *  *
 入手したショッキングなデータをまず、ご紹介しよう。常総生活協同組合(茨城県守谷市)が、松戸、柏、つくば、取手など千葉、茨城の15市町に住む0歳から18歳までの子どもを対象に実施した尿検査の結果である。

「初めの10人を終えたとき、すでに9人からセシウム134か137を検出していました。予備検査を含めた最高値は1リットル当たり1.683ベクレル。参考までに調べた大人は2.5ベクレルという高い数値でした。いまも検査は継続中ですが、すでに測定を終えた85人中、約7割に相当する58人の尿から1ベクレル以下のセシウムが出ています」(常総生協の横関純一さん)

 検査を始めたのは、原発事故から1年半が経過した昨年11月。検査対象全員の146人を終える来年明けごろには、セシウムが検出される子どもの数はさらに膨れ上がっているだろう。

 セシウム134と137はウランの核分裂などにより生じ、自然界には存在しない物質だ。福島から近い関東の子どもたちが、原発事故で飛び散ったセシウムを体内に取り込んでいるのは間違いないだろう。副理事長の大石光伸氏が言う。

「子どもたちが食べ物から常時セシウムを摂取していることが明らかになりました。例えば8歳の子どもの尿に1ベクレル含まれていると、1日に同じだけ取り込んでいると言われます。内部被曝にしきい値はないので、長い目で健康チェックをしていく必要があります」

 関東だけではない。放射能汚染による体内被曝が、東海や東北地方にまで及んでいることも分かった。福島を中心に200人以上の子どもの尿検査を続けている「福島老朽原発を考える会」事務局長の青木一政氏が、実例を挙げて説明する。

「昨年11月に静岡県伊東市在住の10歳の男児、一昨年9月には岩手県一関市在住の4歳の女児の尿からセシウムが出ました。この女児の場合、4.64ベクレルという高い数字が出たため食べ物を調べたところ、祖母の畑で採れた野菜を気にせずに食ベていたのです。試しに測ってみたら、干しシイタケから1キロ当たり1810ベクレルが検出されました」

 食品に含まれる放射性セシウムの基準値は、1キログラムあたり一般食品100ベクレル、牛乳と乳児用食品50ベクレル、飲料水と飲用茶10ベクレルだ。ただし、基準そのものに不信感を持つ消費者も多い。検査もサンプル調査だから、東日本の食材を敬遠し、なおかつ1ベクレルでも気にする風潮につながっている。

 体内にセシウムを取り込むと、どういう影響が出るのか。内部被曝に詳しい琉球大学名誉教授の矢ケ崎克馬氏が解説する。

「セシウムは体のあらゆる臓器に蓄積し、子どもの甲状腺も例外ではありません。体内で発する放射線は細胞組織のつながりを分断し、体の機能不全を起こします。震災後、福島や関東地方の子どもたちに鼻血や下血などが見られたり甲状腺がんが増えているのも、内部被曝が原因です。怖いのは、切断された遺伝子同士が元に戻ろうとして、間違ったつながり方をしてしまう『遺伝子組み換え』で、これが集積するとがんになる可能性があります」

 矢ケ崎氏は、尿中に含まれるセシウム137がガンマ線だけ勘定して1ベクレルだとすれば、ベータ線も考慮すると体内に大人でおよそ240ベクレルのセシウムが存在し、それに加えてストロンチウム90もセシウムの半分程度あるとみる。

 体に入ったセシウムは大人約80日、子ども約40日の半減期で排出されるが、食物摂取で体内被曝し、放射線を発する状態が続くことが危険だと言う。

 常総生協が昨年度、食品1788品目を調査した資料がここにある。結果を見ると、280品目からセシウムが検出されていた。米74%、きのこ63%、お茶50%、それに3割近い一般食品にもセシウムが含まれていたのだ。

週刊朝日  2013年10月4日号